またもや広告が出ちゃってますね。
記事書いて消します。
んで、「魔法少女まどか✩マギカ 新編 叛逆の物語」、今度見に行きます!
ネタバレを見てしまったのですが、なんと(以下ネタバレ?反転) ほむら が「本格的にヤンデレ化」らしく?
「ヤンデレキャラ」なら性別関係なく好きな私としては、「これはいかなきゃ!」と考えたわけです。
まあ彼女がそれっぽいのは本編の時からそうだったんですけれどもね。
以下ちょっとした語り。
-----
ほむらのまどかへの依存っぷりが、好きです!
作中でのふたりの関係は、一応「友情」というように書かれていると思うのですが、どう考えたって、ただの友情にしては、ほむらはまどかにこだわりすぎなんですよねぇ。
あ、もちろん「ほむらとまどかはカップル! 百合!」と主張したいわけじゃないです、決して。
ふたりの関係は友情とも愛情ともつかない微妙な感じであって、既存の言葉では括りにくいです。
ふたりの関係はまどマギを語るにあたって大きな議題になりえそうですね。
そもそも人間は十人十色であるからして、またその人間が織り成す関係性もまた多様なはずである、と私は勝手に考えています。
だから、人間同士の関係を「恋慕」「友情」「親愛」「敬愛」等々の言葉でカテゴリーしようと思ったら、それを正しく判断するのはとても難しいのではないかとも。
人間(とくに日本人?)ってなんでも型に当てはめると安心する生き物ですよね。だから「自分の相手に対する気持ちがわからない」となったとき、その宙ぶらりんな不安を払拭しようと「相手に対して抱いているのは愛情だ」などと断定する気がある。
しかし安易な断定は、自分が抱いていた気持ちが本当はなんだったのかを見失ってしまう危険性があるとも思います。
なので、私は自分の人間関係を既存の言葉で括ろうとはあまり思いません。
(それでも、「この関係に白黒つけたいな」と思ったときはそうしますw)
まどかとほむらの関係が「なんなのか」、それを第三者が定めようとするのは不可能に近い気がします。
…………あっ、ちょっとこれは本筋とは関係ない話題になってしまった気がする。
ともかく。
おのれの全てをまどかに捧げんとばかりのほむらちゃん。
孤独な一匹狼に見えて、自分の存在意義をまどかに全て委ねちゃうあたりその依存っぷりはすごいよね、とアニメ放送を見ていて思っていました。
こういうの、まどかにとってはクソ重いと思うんですが、割とあっさり受け入れちゃうあたりまどかもすごい人だなと思います。
冷静に考えたらちょっと引きますww 重すぎて。まあ最後女神になっちゃうような器だからなあ。
でもまどかが自分に依存してくるほむらのこと受け入れちゃったのって実はいけないことだったんじゃないかなと思っています。
依存はいけないことですよね。だってそれは、結局苦痛しか生まないもん。
でも、アニメ最終回をみる限りじゃあどこまでいってもほむらはまどか命って感じで、結局まどかに依存してるのは徹頭徹尾変わっていない気がしてどこかモヤモヤするものがありました。
「叛逆の物語」では、それが原因となってほむらが結構辛い目に合っているようですね。
でも、自分自信の意思でその状況から出ていこうとはしない。どこまでいってもまどかに依存してるから。
ほむらが自分自身の意志でもって、まどかという存在から離れ自分の人生を生きていく、そういうストーリーになっているといいなあ、と、そう期待して私は映画館に行きます。
そうなったら「まどマギ」という作品も綺麗に終われると思いますし。
ああっ、でもそういう映画じゃなかったらどうしよう……。
でも、フィクションならそういう退廃的、破滅的なのも「アリだわ。むしろ甘美」って思うので、それはそれで大いに楽しんでしまいそう。
とにかく観に行くのがとっても楽しみ。
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とここまでほむらのことを語りましたが、私が一番好きなまどマギキャラクターはマミさんです。
マミの中学生にしては不分相応な冷静な考え方(これは杏子の考えと通ずるところがある)と、自分の後輩に向ける切ない優しさが好きです。
映画でマミさんもそれなりに活躍して欲しいです。
主題歌の「君の銀の庭」すきなんだけど、映画館でCD売って……、るわけないっすよねえ。ほしいなぁ……
記事書いて消します。
んで、「魔法少女まどか✩マギカ 新編 叛逆の物語」、今度見に行きます!
ネタバレを見てしまったのですが、なんと(以下ネタバレ?反転) ほむら が「本格的にヤンデレ化」らしく?
「ヤンデレキャラ」なら性別関係なく好きな私としては、「これはいかなきゃ!」と考えたわけです。
まあ彼女がそれっぽいのは本編の時からそうだったんですけれどもね。
以下ちょっとした語り。
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ほむらのまどかへの依存っぷりが、好きです!
作中でのふたりの関係は、一応「友情」というように書かれていると思うのですが、どう考えたって、ただの友情にしては、ほむらはまどかにこだわりすぎなんですよねぇ。
あ、もちろん「ほむらとまどかはカップル! 百合!」と主張したいわけじゃないです、決して。
ふたりの関係は友情とも愛情ともつかない微妙な感じであって、既存の言葉では括りにくいです。
ふたりの関係はまどマギを語るにあたって大きな議題になりえそうですね。
そもそも人間は十人十色であるからして、またその人間が織り成す関係性もまた多様なはずである、と私は勝手に考えています。
だから、人間同士の関係を「恋慕」「友情」「親愛」「敬愛」等々の言葉でカテゴリーしようと思ったら、それを正しく判断するのはとても難しいのではないかとも。
人間(とくに日本人?)ってなんでも型に当てはめると安心する生き物ですよね。だから「自分の相手に対する気持ちがわからない」となったとき、その宙ぶらりんな不安を払拭しようと「相手に対して抱いているのは愛情だ」などと断定する気がある。
しかし安易な断定は、自分が抱いていた気持ちが本当はなんだったのかを見失ってしまう危険性があるとも思います。
なので、私は自分の人間関係を既存の言葉で括ろうとはあまり思いません。
(それでも、「この関係に白黒つけたいな」と思ったときはそうしますw)
まどかとほむらの関係が「なんなのか」、それを第三者が定めようとするのは不可能に近い気がします。
…………あっ、ちょっとこれは本筋とは関係ない話題になってしまった気がする。
ともかく。
おのれの全てをまどかに捧げんとばかりのほむらちゃん。
孤独な一匹狼に見えて、自分の存在意義をまどかに全て委ねちゃうあたりその依存っぷりはすごいよね、とアニメ放送を見ていて思っていました。
こういうの、まどかにとってはクソ重いと思うんですが、割とあっさり受け入れちゃうあたりまどかもすごい人だなと思います。
冷静に考えたらちょっと引きますww 重すぎて。まあ最後女神になっちゃうような器だからなあ。
でもまどかが自分に依存してくるほむらのこと受け入れちゃったのって実はいけないことだったんじゃないかなと思っています。
依存はいけないことですよね。だってそれは、結局苦痛しか生まないもん。
でも、アニメ最終回をみる限りじゃあどこまでいってもほむらはまどか命って感じで、結局まどかに依存してるのは徹頭徹尾変わっていない気がしてどこかモヤモヤするものがありました。
「叛逆の物語」では、それが原因となってほむらが結構辛い目に合っているようですね。
でも、自分自信の意思でその状況から出ていこうとはしない。どこまでいってもまどかに依存してるから。
ほむらが自分自身の意志でもって、まどかという存在から離れ自分の人生を生きていく、そういうストーリーになっているといいなあ、と、そう期待して私は映画館に行きます。
そうなったら「まどマギ」という作品も綺麗に終われると思いますし。
ああっ、でもそういう映画じゃなかったらどうしよう……。
でも、フィクションならそういう退廃的、破滅的なのも「アリだわ。むしろ甘美」って思うので、それはそれで大いに楽しんでしまいそう。
とにかく観に行くのがとっても楽しみ。
-----
とここまでほむらのことを語りましたが、私が一番好きなまどマギキャラクターはマミさんです。
マミの中学生にしては不分相応な冷静な考え方(これは杏子の考えと通ずるところがある)と、自分の後輩に向ける切ない優しさが好きです。
映画でマミさんもそれなりに活躍して欲しいです。
主題歌の「君の銀の庭」すきなんだけど、映画館でCD売って……、るわけないっすよねえ。ほしいなぁ……
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